講師紹介

講師紹介

代表講師 小山 忠司

 
 
1971年9月25日 大阪府岸和田市で兄・姉を持つ次男として誕生
1992年3月 北海道大学中途退学
1999年3月 愛媛大学医学部看護学科卒業後、保健師・看護師免許を取得
2001年7月 看護教育の向上を目指し、吉田ゼミナールを設立
 

私が講師になった理由

保健師の経験から

 
 私が保健師の職を去ってかれこれ10数年になります。この仕事を始める前は僻地に興味があり、沖縄や北海道の海辺の町で保健師として公務員をしていました(講義で学生に元公務員であったことを話すと、みんな驚きを隠せない様子です。なぜだか、今も原因を究明中)。
私が就職した約15年前は地域保健法の改正に伴い保健師が不足している時代でした。
 
 しかし、男性保健師の採用はごく少数でした。負け惜しみを言うなら、「僻地の人を助けたという高い理想を抱いて飛び込んで行った」と言いたいのですが、実際は僻地しか採用がなかったのです。当時の就職希望者は都会志向が強く、田舎はいつも人材不足でした。
 そのため、都道府県に人材確保支援を依頼したり、合同説明会へ足を運んだりと、あの手この手で人を募集することに奔走するのが常でした。
 

合否発表で採用取り消しも

 
 志高く田舎の町に就職したいという希望者が居ると町は大喜びです。しかし、採用直前に国家試験の合否発表があり国試に落ちる。4月1日には戻りの引越し準備を手伝ったということがありました(新人で町にやってきた琴ちゃんはどうしているのかな、引越しの開封と荷造りを手伝ったのはつらかったです)。
 
なぜ、地域に根ざした医療を行いたいと思う学生が試験に落ちるのか?
それとも、試験に自信のない学生だから、僻地を選択したのか?
の結論は最後まで出ませんでした。
 

不合格だった彼女は、真面目で律儀だった

 
 その中で、1つだけ気付いたことがあります。私が出会った不合格の学生は全員が真面目で律儀なのです。そうか、試験は真面目さだけでは合格できない!学力と要領の良さが一体化したとき合格できるのだという結論に至りました。
 

介護福祉士の受験指導

 
 公務員として保健センターで働く傍ら、特別養護老人ホームで働いている人たちに国家試験勉強を教えてくれないかと上司に頼まれ、夜間学習会というのを開いていました。
 

介護福祉の学習会で学んだこと

 
 年齢は30~50歳代の「オバサマ」たち。介護福祉士の免許取得に向けて一生懸命、取り組んでいるのが伝わってきました。しかし、彼女たちはやる気と眠気が同時に襲ってくるのです。何度も同じ質問が飛び交う中で、彼女たちにとって最短コースの学習法はないか、いろいろな方法で効果判定をしながらデータを集めることから始めました。
 
 私(大学時代は優が1つ)と国保病院の副院長(外科医のエリート)、先輩保健師(キャリア12年の自称元モデル)の3人が教壇に立って講義を始めました。講義終了後、テストをするといつも私の担当した分野だけが高得点、他の2人の担当分野は欠点(赤点)という結果です。
この差はいったい何だろうと考えた結果、私と他の2人には大きな違いがありました。少し、想像してください。
 

知識が豊富な人≠知識を上手く伝える人

 
 それは、私には学生時代に学習塾で理科を教えていた経験があったのですが、他の2人にはそれがなかったのです。さらに詳しく調べてみると、オバサマ集団の意見として「小山さんの講義は私たちが質問したいこと、知りたいことを教えてくれる」とのことでした。
 
 この違いは、私が学習塾(補習専門)時代に初めて細胞のことを習う生徒にどうすればわかりやすく、覚えやすく、話がつながりやすいかを日々工夫するという習慣が自然と身に付いていたからです。
 
 大人に話をするときには、相手が勝手にこちらの伝えたいことを考え、整理してくれ、理解してくれます。一方、子どもは白紙から物事を教わるので漢字の読み、意味、使われ方、現象の理屈、原因・結果と全てを教わり、初めて理解するのです。言い換えるならば、勉強の仕方から学ぶのです。
 
 ここが欠けているから、2人と私の間に差がでるのだと感じました。そんなことは当然だと思う人もいますが、意外と気付かないでいる事柄なのです。
 

公務員を退職

 
 保健センター勤務の中でもっといろいろな人と関わり、お役に立ちたい、もっと健康に対する知識を普及したいと思い役場を思い切って退職しました。
 
 そうすると以前は優しくしてくれた周りの人が、私の周りから居なくなる現象が起こりました。なぜなら、小山さんが役所で働いているのではなく、役所で働いている小山さんであったのだと初めて気付きました。役所は税金を使いさまざまな社会資本に投資を行います。言い換えれば、倒産することのない金払いの良い企業に勤めている私には権限があります。役場に勤めていた私と付き合っていた人は、役場を辞め民間人になった私と付き合うメリットは何もなくなったのです。
 

退職して感じたこと

 
 人間とはなんと実利的なのかなと、このとき身をもって体験することができました。
 
 ちなみに、この文章を書いていると、私の周囲から人間性に問題あるからじゃない!ときつい一言を言われました。確かに、考えてみると意地悪なところがあるのも事実、ちょっとビビリなのも事実、親不幸なのも事実、しかし、学生が合格して欲しいという熱意は世界で一番だと自信を持って言えます。
 

大手予備校の教壇との出会い

 
 公務員を退職し、貯えも少なくなり心細く、駅前を歩いていると「教師急募」の看板が・・・。採用条件は年齢不問、看護師国家試験の受験経験者(合格者ではありません。受験した経験があればいいのです)。これだ!自分の昔の経験を生かして仕事ができる。
 

教壇に立って

 
 早速、採用試験を申し込みました。採用試験は事務のお姉さん数人の前で細胞を解説するというものでした。
 
結果は合格!
 
随分とファジーな採用方法だと思いました。
 
しかし、予備校は講義内容が勝負なのに、生物を知らない集団が講義内容を評価できるのだろうか?何を持って合格と判断されたのか、当時は理解できなかったが、その数か月後に身をもって体験することになりました。
 

時間延長も特別な講義もできないマニュアル通りの講義

 
 教壇で講義をすることにも慣れ、順調な日々が続くかと思いきや問題発生!!
 
 「講師は時間いくらで話しを売っている仕事、時間延長はしないでください。プロなら相手を見て、解説する内容を変更してください」と注意を受けたのです。
 
 私の意見としては、講義は学習効果が現われ、初めて価値があります。合格を目指して、予備校に入学してきたのならば、学生には合格できる力を身に付けてもらう権利があるのです。逆に講師にはそれに対応できるだけの学力・知識を付ける義務があります。それでこそ本当の予備校ではないでしょうか。
 

予備校の現実と矛盾

 
 よく、専門学校の掲示板にレギュラー講座と夏期講習会、冬期講習会と次々に案内が張り出されます。これには矛盾を感じます。「全て講習を受けて始めて合格できます」と予備校の受付けのお姉さんが説明しているそばで「現役生には夏期講習会だけで国試対策は十分です」と別のお姉さんが説明している。「これで教育といえるのか!」私は、これは教育ではないと思います。
 

自分のためではなく学生のためにやらなくては

 
 自分の意見や企画が実現できるところで働きたい!学生のために心底情熱を燃やせるところで働きたい!と強い思いで仕事をすることになったのが吉田ゼミナールである。
 
 講義の内容には口を出さない。学生本位に物事は考える。合格したい学生たちの気持ちをからだ全体で、会社全体で受け止める。吉田ゼミナールはそんな会社である。

小山 忠司