卒業生の近況報告

 

私は離婚を機に、住宅ローン3200万円の支払いと2人のこどもを養うために看護師になろうと37歳の夏勉強を始めました。
 
自営業で兄が社長の会社に勤めていても月手取り17万弱。ボーナスなし。おまけに私が元旦那に首を絞められたこと話していなかったから兄は離婚に反対していたし昇給なんてありえない。
 
けれども、自営業を営んでいるので「倒産なんて事になったら実家も兄の家もなくなってしまうからこの家は置いといて。」という母。引越ししたくないという子どもたち。
結局、売ったとしても半額近いし、住宅ローンを支払っていくことにして母の協力を得て秋・冬勉強に励んだ。
 
 11月に受けた一般入試では偏差値40もない看護学校に社会人枠で試験を受け、合格発表で落ちた帰り道、「JRの路線に飛び込もうか、いやいや7代に渡っての借金になるらしいからあかん。」「性を売り物にする仕事しかないんかな、、、うーん。もうおばさんやのに何年も働けん、、。」ぐるぐる、ぐるぐる先のないことばかり考えてホームの椅子からしばらく離れることが出来ず、立つ気力が湧くまで時間がかかった。
 
 その時は「まだ受験は始まったばかり、今年度中に受かればいいや。」と考えることにして、また勉強して第2志望校に落ち、がっかりしながらも年末年始こたつにかじりついて、半泣きで勉強した。
 
 年が明けて第1志望校一般入試、現代国語は空白なく解答。数学、、、、。あと2割がわからず空白。
「寝る間も惜しんで勉強したのに、わからんハズない!」ともう一度ゆっくり問題を読んで解き方が閃き空白なく記入できた。面接、終始笑顔で返答した。
 合格発表で入試時の受験番号最終番号の1/10の人数の中に自分の番号を見つけた時は声をあげて泣いた。子どもらと生きていける光がやっと見えてホッとした。
 
 授業が始まっても人一倍勉強して課題も人一倍調べて学問に打ち込んだ。
 実習担当の教員K。この人がいなかったらもっと楽に実習が終えられたと思う。今考えてみると、K氏は私と同じ年。K教員は結婚5年目だったか不妊治療に800万ほどつぎ込んでいるとは知らず、子供の愚痴を言ったのが癇に障ったのだろうと思う。
実習78人で回っていく方式でそのK教員は精神看護学と学年の実習指導教員を担当としており、ロックオンされた私は一度合格していた精神看護学の実施病院での点数に精神の教員の訂正印で点数を変更され不合格になっていた。
 
 3年になったのを機に吉田ゼミナールに出会う。実習にK先生の息が掛かっている病棟ばかりにいき不合格。実習指導者や当日の担当ナースに報告しようにも私は指導者と目があったのに逃げられる、逃げたくせに報告が遅いだの、やる気あるのと注意を受け、不思議なことばかり。訳が解らない意地悪?なことばかり起きていた。
 
4年目実習は合格していった。がK教員が担当する精神看護で再び落とされる。ロックオンした学生を実習後2.3時間大声で𠮟りつけ学生に心療内科受診させるまでいじめ抜くK教員。
 
私も例外ではなかった。
 
訳のわからない教員の言い分に反論することは許されず、その教員がこない日は他の学生メンバーが私がK教員から指導という名のいじめにつきあわなくていいので帰れる。その嫌味にも耐えなければならなかった。そして、この年も不思議なことに実習先ではまた来週頑張ろう!と言われて帰って来たが、K教員に呼び出され「あなた来週から実習先に行ってはいけません」と言われる。謎なことばかり。
 
もうどうしていいかわからず泣きながら吉田ゼミナールの小山先生に電話した。
実習での教員とのやり取りの記録も見てもらって、指導をもらい学生を続けることに後押しされて学生を続けることにした。
 
学生5年目にはK教員は実習担当教員ではなくなり、精神看護学の担当も別の担当教員だった。最終年には実習病院の指導者である主任男性ナースが「僕が大切に思い仕事をしている精神看護だけ単位が取れてないなら、僕が指導して卒業させてあげるから安心して実習して。」と言ってくれた。
 
統合実習の担当教員もこんなに勉強してる人はもう何年も見てないわと言われるぐらい勉強した。
 
 ようやく卒業単位に達成し、緊張しすぎて本領発揮できずだったけれど合格ラインには達していた。
 
 
 就職。回復期に内定する。一つ年下の先輩に小学生みたいないじめに合う。
私はくせっ毛でなにもしていないのにカールしている髪の毛なのですが、手をたたきながら
「チーリチリ、チーリチリ。陰毛ヘア」と囃子たてたり、夜勤明けの送りで「あんたの申し送りは全くわからない!」って人がいないようなところに呼び出して小声で言われた。(言われたのを聞いていた他のナースが後で私を励ましに来てくれたけど)。
 
私は年齢が高いが、経験年数はなく新米ナースであるためナースコール対応や回復期だったのでトイレ誘導などの患者さんが回復することに対しての看護を一生懸命行い思考の看護を行う毎日だった。
 
「まだ記録できてないの?私なんてとっくに終わってるで?遅っそいな。5年もかかって卒業してナースに向いてないとか考えんかったん?実際できてないし!夜勤なんてまだ無理でしょ」と先輩はナースコールなんて出ないし、学校のことか知らんくせに、チクチク、チクチクつまらないことばかり言い人だった。病棟からの信頼は得ている先輩の一言で夜勤業務も半年外された。
 
そんな毎日でも、患者さんのご家族はちゃんと見ていてくれていて、別の病棟に転ベットして、月日がたち患者さんが他界されたので転ベット先病棟にご挨拶に来てくださったご家族に偶然、階段でお会いしてお声をかけてくださった。「あなたの笑顔に救われた。ありがとう。あなたにあって是非お礼が言いたかったの。」と奥様と息子さんから言葉を掛けていただいた。
 
 その言葉を貰えてなかったらこんなに頑張れたかわからない。
 
リーダー業務担当が任され始め、一般事務とは全く違い病院の流れも解ってないのに「出来ないなら、リーダー業務外してもらうよう主任に言いや!」と、ほかのナースがリーダーなら率先して手助けするのに私の時は抜けに気付いても知らぬふり。ホントに病棟に行くのが嫌になっていた。
 
同期が異動や別の病院に転職してどんどんいなくなってきた4年目の11月に学生の時に実習点数が一番良かった在宅看護である、訪問看護ステーションの部署に異動が決まり訪問看護師として働くようになった。
 
夢がこんなに早くかなうなんて思わなかった。憧れの訪問看護。年収も学生最後に看護助手として働いていた時の3倍近くになる。夜間は電話当番の時はあるけど、日勤中心の仕事で、まず子どもたちの心が安定するようになった。
 
訪問看護は援助中やおむつ交換の最中にナースコールが鳴ることなんてないし、同僚のスタッフが患者さんに対して上からモノを言うのも見なくていい。訪問看護はしっかり利用者さんと向き合える時間が持てるので、利用者さんにとっての看護を提供できるように努力する毎日で、裏表がある看護師なんていないし、病棟とは違い派閥などの看護に関係ないことに対してストレスを感じることがない。
 
今、利用者さんに何が必要で、自分はどんなことが提供できるのか?という事を考えて行動している日々の中で、利用者さんのご家族に「ほんとにいつもありがとう。信用、、じゃないな信頼できる看護師さん達が来てくれて嬉しい。」と言ってもらえた。それは私の看護が素晴らしいのではなくて、訪問看護の先輩たちの今までの看護が素晴らしいから言ってもらえた言葉で、そんな先輩たちがいるステーションで働けて嬉しいし楽しい。
 
人間的にできた人で素敵な看護師さん達ばかりで年下の先輩もいるけど、自分の持っている知識を惜しみなく教えてくれるし、利用者さんにとっていい看護をしようっていう気持ちがある人達の中で働けて、平成20年に離婚して必死に勉強してよかったと日々思って過ごしています。また、吉田ゼミナールで学んだ思考の看護と私の記録物や実習先のことも相談した後の小山先生の「続ければ卒業できるはず」という後押しがなければ諦めて卒業できなかったと思います。
 
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 
私の体験談が夢に向かって勉強している受験生の励みになればいいな。吉田ゼミナールで頑張っている皆さんは一人でも勉強できる強い心を持っている人ばかりだと思います。
 
思考の看護で頑張ってください!

受講生の皆様、お忙しい中、お手紙・アンケートをいただきありがとうございます。
毎年、このページは増え続けますが、皆様にお伝えできる場として更新してまいります。